■ 怒

aquio2005-11-24

交差点の近くで道路工事が行われていた。
歩行者用の信号は赤だった。
工事を眺めながら信号が青に変わるのを待っていると、
後ろから母と子の会話が聞えてきた。
「ほらね、○○ちゃん、
 あなたもちゃ〜んとお勉強しないと、
 あんなふうになっちゃうのよ」
何のことかと振り返ると、
ブランドもので身を固めた母親が
道路工事の作業員たちを指差していた・・・。
身体が震えるほどの怒りを覚える。
自分という人間の存在を他人が認めてくれることで、
人は自分という人間の存在を自ら認める。
自分という人間の存在を認める他人がいなければ、
人は自分の存在を希薄なものと感じる・・・・。
神戸における「酒鬼薔薇聖人」事件がそうであったと思う。
「限りなく透明にちかい存在としての私」という犯行声明を出したほど、
あの少年は頭のいい子どもであった。
そう思う・・・・。
親も自分という人間の存在を認めてくれない。
学校にも自分という人間の存在を認めてくれる人はいない。
ここに自分という存在があるにもかかわらず、
その存在を認めてくれる他人がどこにもいない・・・・。
限りなく透明にちかい存在としての私・・・。
この母親の場合、
自分という人間の存在を認めてくれるのは、
金とブランド・ショップの店員。
そして、
「お宅のお坊ちゃんは勉強がよくおできになって」と褒めてくれる
同じようなレベルの馬鹿親たちだけなのだろう・・・・。
自分の見栄のために子どもを飼育していると、なぜ気付かないのだろうか。
子どもが哀れでならない。
母親と同じような人間に育っていくのだろうか・・・。