■ 自転車泥棒

aquio2006-01-17

自転車泥棒」を観る。
一九四八年に制作されたイタリア映画。
監督は「ヴィットリオ・デ・シーカ」。
子役の「Enzo Staiola」の演技が素晴らしい。
「エンツォ・スタヨーラ」と呼ぶのだろうか。
自転車を盗まれたことで職を失ってしまう父親だが、
思い余って今度は自分が自転車を盗んでしまう・・・。
敗戦国の戦後の混乱がよく描かれていた。
昭和二十年代といえば、
架空線から電力の供給を受けて走るトロリー・バスや、
木炭で走るトレーラー・バスが走り回っていた時代。
映画はその頃の日本の状況を思い出させる・・・。
その頃の子ども社会において、
自転車は確かに一種のステータスであったように思う。
氷屋の息子は氷運搬用の自転車に乗っていたし、
化粧品屋の息子はリヤカーの付いた自転車に乗っていた。
実用一点張りの大型自転車を「三角乗り」でコントロールするというのが、
当時の男の子たちの自慢の種でもあった・・・。
金持ちの子どもは子ども用自転車を得意げに乗り回していた。
自転車の荷台にスイカをくくりつけ、
「三角乗り」をしながら仲間と海水浴に出かけたことがあったが、
あれはいったいいつ頃のことだったのだろう・・・。
あの頃の浜寺公園は本当に美しい砂浜だった。
首に手拭いを巻きつけ、
自転車のペダルを懸命に漕いだことを昨日のように憶えている。
親たちは生活の糧を稼ぐだけで精一杯であった時代、
子どもたちはいつもほったらかしにされていた。
腹がへるまで外で遊び呆けていたものだった。
ほったらかしにされていたからこそ、
子どもたちは真直ぐに育ったのではないかと思う・・・。
子どもにも考える力があり、感じる力がある。
子どもに手をかければかけるほど、
子どもは「盆栽」のようになってしまうのではないだろうか。
犯罪を犯してしまった父親の手を子どもが握りしめる・・・。
映画の最後のシーン。
親が抱える苦悩は子どもも見抜いているものなのだ。