■ 煙草

aquio2006-06-14

喫煙者に対する世間の風は相変わらず冷たい。
新聞の立場は「公明正大中立」のはずだが、
嫌煙権の主張が掲載されることはあっても、
喫煙者の主張が載ることは、ほとんど、無い。
双方の主張を掲載してこその「中立」ではないか。
喫煙者の主張を載せないのであれば、
嫌煙権を主張する側の意見も載せてはならない。
それが「中立」というものではないだろうか。
喫煙の害について記事を掲載する新聞はあっても、
車の害について記事を掲載する新聞は、無い。
何故か!?
新聞は広告収入で成り立つ部分が大きいからである。
車のメーカーやディラーの広告スペースがいかに大きいか、
新聞を広げてみればすぐに理解できるはず。
新聞に限らず、マスコミは広告主の悪口を言えない。
たんまりと稼がしてくれる広告主の悪口を言えるはずはない。
「公明」とは「公正で私意のないこと」をいうが、
「広告」とは「私意」のことである。
ここにマスコミが抱える矛盾とジレンマがある。
もっとも、マスコミがその矛盾とジレンマに気付いていればの話だが・・・。
七月一日から煙草の値段が上がる。
二十本入り二百七十円の紙巻煙草が三百円になる。
これを契機に、紙巻煙草を吸うのは止めようと決意する。
明日からはパイプだけを吸うことにする。
嫌煙権なんて知ったこっちゃないもんね。
何が「権利」であるものか。
煙草の煙がそれほど嫌いであるのなら、
嫌いなお前があっちに行けばいいだけの話なのである。