■ 本音と建前

aquio2006-07-18

Sさん達と三宮で飲む。
阪急三宮駅前の居酒屋で待ち合わせ、
トア・ロードの「MOKUBA」に河岸を変え、
「バー・ローズブーケ」でしめる。
喰うほどに、飲むほどに
皆の口から「本音」が飛び出してくる・・・。
「建前と本音というが、建前は通すべきである」
「本音とは弱音のことである」、と
そう看破したのは、
「暮しの手帳」の初代編集長「花森安治」であった。
「建前」という言葉は、
「規範」という言葉に置き換えられる。
「拠るべき基準」のことを「建前」と言うのだ。
皆が納得できる基準のことを「建前」と言う。
または、
「望ましい行為」のことを「建前」と言い換えてもいいかもしれない。
「建前」は「利他的な希望」であり、
「本音」は「利己的な欲望」を意味する。
「利他」を通せば、必ずそれは「利己」に繋がる。
そう思う。
なぜ、彼らは「建前」を押し通すことができないのだろう・・・?
「本音を言えよ!」、と何度も言われたが、
私の場合、「建前=本音」なのである。
「建前」は前進するためのエネルギーにはなるが、
「建前」を失くすと、そこには「負」のエネルギーが生じる。
そんなものではないだろうか・・・。
もっとも、「建前」を通すには多くのエネルギーを消耗する。
だからこそ、
「建前」を押し通した時の喜びも大きいのではないだろうか。
そう思う。
「本音」はただの「愚痴」でしかない。