■ お正月

aquio2007-01-01

私が子どもであった頃、
お年玉の相場は五十円であったように記憶している。
その頃の子どもにとって、五十円は大金であった。
駄菓子屋では、醤油煎餅が一枚五十銭、
海老煎餅が一枚二十五銭で売られていた。
合成甘味料で味付けされた瓶詰めの水が五円だった。
この水は蜜柑水(みかんすい)と呼ばれていた。
駅前の映画館では、大人三十五円、
子ども二十五円で三本立ての映画が観れた。
葱だけが入ったお好み焼きが五円、
たこ焼きは十個で十円だった・・・。
その頃、巷では十銭札や五十銭札、そして一円札が流通していた。
記憶は定かではないのだが、
五十銭札は現在の一万円札よりも大きかったのではなかっただろうか。
当時、子どもの急性伝染病のことを「疫痢/えきり」と呼んだ。
赤痢菌による発病だったと思うが、
「買い食いすると疫痢になる」、とよく母や祖母から叱られたものだった。
衛生に対する観念の低い時代ではあったが、
それでも、駄菓子屋での買い食いは嬉しいものだった。
駄菓子屋は近所の子どもたちの溜り場であった。
奴凧が十円、凧糸が五円、独楽が十円、独楽紐が五円で売られていた時代。
あの頃のお年玉は使い出があった。
それにしても、恥の多い人生である・・・。
恥をかきながら生きてきたように思う。
あの恥多き若い時代には戻りたいとも思わないが、
正月が来るのを心待ちにしていた子どもの頃、
洟を垂らしながら凧揚げや独楽回しに興じていた、
あの子どもの頃になら、戻れるものなら戻ってみたい、と思う・・・。