■ ND

aquio2007-03-30

「ND」という言葉があることを知る。
何のことかというと、
Nicotine Dependence」の略、
つまり「ニコチン依存症」のことであるという。
「ニコチン中毒」のことを差す言葉であるらしい。
さて、人種差別反対運動の根底には、
差別を受ける人種の存在が不可欠である。
被差別人種の存在があるから、
人種差別反対の運動が成り立つのである。
同じように、
喫煙を愛してやまない人々がいるからこそ、
嫌煙権運動が成り立つ。
喫煙者がいるからこそ、嫌煙権のキャンペーンが成り立つのである。
そういった意味で、
嫌煙権論者にとり、喫煙者は無くてはならない存在なのである。
喫煙者がいなければ、嫌煙権論者はその存在の意義を失ってしまう。
もう少し喫煙者を大切に扱え、と私は言いたい。
喫煙者にとって嫌煙権論者は不要の存在だが、
嫌煙権論者にとって喫煙者は必要の存在なのである。
嫌煙権論者たちはそのことに気付いていないのではないだろうか。
それにしても、
嫌煙権論者たちはその軍資金をどこから捻出させてきたのだろう・・・?
嫌煙権を徹底させたいのであれば、
本丸の「JT/日本たばこ産業株式会社」を攻略すべきではないか。
煙草の生産を止めさせれば、問題は一気に片が付く。
しかし、喫煙者とそのマナーが槍玉に挙げられることはあっても、
「JT」が槍玉に挙げられた、というニュースはあまり聞かない・・・。
もしかしたら、嫌煙権運動とは新手のビジネスであったのかもしれないな。
喫煙者が必要としているように、嫌煙権論者もまた「煙草」を必要としている。
「煙草」を必要とする者同士であるのだから、
どこかに両者の接点はありはしないか・・・。
煙草でも吸いながら、一度ゆっくりと話し合いたいものである。