■ 舞台

aquio2007-09-25

S社のK氏から連絡が入る。
ある商業施設のため、
からくり人形を制作して欲しい、という電話。
K「一体の価格はどれくらいになる?」
私「おおよそ二百万円から二百五十万円の間かな」
K「なんでそんなに高いの?」
私「なんで、って仰られても・・・」
K「同じモノを五体注文したらいくらになる?」
私「一体が三百万円ほどになるかな・・・」
K「数を作って高くなるというのはどういうワケ?」
 「普通、数を作れば安くなるのではないの?」
私「同じモノをたくさん作るのは面倒くさいからね」
 「面倒くさい仕事だから値段は高くなるよ」
K「・・・・」
 「あまり予算がないのだが・・・」
私「今のご時勢、どこも予算はありませんね・・・」
K「からくりを乗せる舞台や照明装置に金がかかるんだよね」
 「なんとか安くならない?」
 「一体五十万円くらいで作れない?」
私「いい加減なモノでいいなら、その値段で作れますよ」
 「すぐ壊れるようなモノでもいいですか?」
 「壊れた場合、その修理費は別途請求、ということでもいいですか?」
 「それでもよろしければ」
 「でも、いい加減な仕事はしたくありませんしね」
価格交渉は決裂したが、ま、よくある話ではある。
舞台や照明設備に金がかかるのは理解できる。
しかし、その舞台の上で踊るのは、私が作るからくり人形なのである。
舞台や照明に金はかけられるが、
主役のからくり人形には金がかけられない、という話なのである。
大道具や小道具に金はかけられるが、
舞台の上で演じる役者に金は払えない、と言っているのである。
いつも、こうである・・・。
Kさんの立場もよく解る。
S社は某大手企業の下請け的立場であるから、
利益もそんなに見込めない、ということもよく理解できる。
だからといって、赤字を出してまで仕事をしなければならない義理も無い。
いいモノを作ろうとする時には、どうしても時間とお金がかかる。
お金が無い場合には、時間をかければ、何とかなる。
また、時間が無い場合には、お金をかければ、何とかなる。
しかし、お金も時間も無いのに、
「いいモノを作れ!」、というのは土台無理な相談なのである。