■ ミネストローネとにぬき

aquio2007-10-01

「ミネストローネ」と「にぬき」、
「ミネストローネ」と「にぬき」の間には、
実は何の関連もない・・・。
「MOKUBA」で「ミネストローネ」を食べながら、
「にぬき」について語り合った、というだけの話である。
関西では「茹で卵」のことを「にぬき」と表現する。
「にぬき」、すなわち「煮抜き」のことであり、
十分に煮詰めた卵のことを、「にぬき」、と表現するが、
この「にぬき」という言葉が、関東では通用しない。
子どもの頃、我が家では「茹で卵」のことを、
「にぬき」、または「うでたまご」、と言っていた。
広辞苑には、「茹だる」と書いて「うだる」と読み、
「茹でる」と書いて「ゆでる」、と読むと書いてある。
「茹だるような暑さ」という表現があるところから、
ゆでたまご」も「うでたまご」も、
表現的にはどちらも正しい、ということではないだろうか。
しかし、茹でた卵を「茹で卵」と呼ぶのは、
あまりにも直接的な表現であるように思えてならない・・・。
また、関西では、「鶏肉」のことを「かしわ」と表現する。
「かしわ」の「かし」は「褐色」を意味し、「わ」は「羽」を意味する。
茶褐色の羽毛をもった鶏の肉は美味、とされたことから生まれた言葉。
絞めた鶏の肉のことを「鶏肉」と表現するのも、
これまた、あまりにも直接的であるように思えてならない・・・。
話は変わるが、
江戸時代、「土左衛門」という名の力士がいた。
土左衛門」の身体は肥大であったという。
で、溺死者の膨れあがった遺体を見て、
世人が「まるで土左衛門のようだ」、
と戯れたことに「土左衛門」という言葉の起源がある。
干した烏賊のことを「するめ」と表現し、
溺死者の遺体ことを「土左衛門」と表現するように、
姿を変えてしまったモノには、やはり別称で表現したいものである。
戯れの標的になった「土左衛門」には気の毒とは思うが、
そう、直接的な表現には「戯れ」がない、のであるね。
話は変わるが、
あれは「J-POP」というのだろうか、
もっとも、その「J-POP」という言葉の定義も知らないのだが、
テレビやラジオから流れてくる、若者たちの音楽のひどさといったら・・・。
ま、あれが音楽というのであれば、の話だが、
まず、歌詞がまったく練れていない。
「思いつくまま単語を羅列しました」的歌詞であるとしか思えない。
言葉を練るにはそれなりの「時間」が要る。
言葉を練っている時間がないのか、
それとも、言葉と「戯れる」才能がないのか・・・。
阿久悠」には、その平易な言葉と「戯れる」ことのできる才能があったように思う。