■ ミネストローネとにぬき
「ミネストローネ」と「にぬき」、
「ミネストローネ」と「にぬき」の間には、
実は何の関連もない・・・。
「MOKUBA」で「ミネストローネ」を食べながら、
「にぬき」について語り合った、というだけの話である。
関西では「茹で卵」のことを「にぬき」と表現する。
「にぬき」、すなわち「煮抜き」のことであり、
十分に煮詰めた卵のことを、「にぬき」、と表現するが、
この「にぬき」という言葉が、関東では通用しない。
子どもの頃、我が家では「茹で卵」のことを、
「にぬき」、または「うでたまご」、と言っていた。
広辞苑には、「茹だる」と書いて「うだる」と読み、
「茹でる」と書いて「ゆでる」、と読むと書いてある。
「茹だるような暑さ」という表現があるところから、
「ゆでたまご」も「うでたまご」も、
表現的にはどちらも正しい、ということではないだろうか。
しかし、茹でた卵を「茹で卵」と呼ぶのは、
あまりにも直接的な表現であるように思えてならない・・・。
また、関西では、「鶏肉」のことを「かしわ」と表現する。
「かしわ」の「かし」は「褐色」を意味し、「わ」は「羽」を意味する。
茶褐色の羽毛をもった鶏の肉は美味、とされたことから生まれた言葉。
絞めた鶏の肉のことを「鶏肉」と表現するのも、
これまた、あまりにも直接的であるように思えてならない・・・。
話は変わるが、
江戸時代、「土左衛門」という名の力士がいた。
「土左衛門」の身体は肥大であったという。
で、溺死者の膨れあがった遺体を見て、
世人が「まるで土左衛門のようだ」、
と戯れたことに「土左衛門」という言葉の起源がある。
干した烏賊のことを「するめ」と表現し、
溺死者の遺体ことを「土左衛門」と表現するように、
姿を変えてしまったモノには、やはり別称で表現したいものである。
戯れの標的になった「土左衛門」には気の毒とは思うが、
そう、直接的な表現には「戯れ」がない、のであるね。
話は変わるが、
あれは「J-POP」というのだろうか、
もっとも、その「J-POP」という言葉の定義も知らないのだが、
テレビやラジオから流れてくる、若者たちの音楽のひどさといったら・・・。
ま、あれが音楽というのであれば、の話だが、
まず、歌詞がまったく練れていない。
「思いつくまま単語を羅列しました」的歌詞であるとしか思えない。
言葉を練るにはそれなりの「時間」が要る。
言葉を練っている時間がないのか、
それとも、言葉と「戯れる」才能がないのか・・・。
「阿久悠」には、その平易な言葉と「戯れる」ことのできる才能があったように思う。