■ 普遍性と独創性

aquio2007-11-02

「普遍性」は「ユニバーサリティ」と訳される。
「すべての場合にあてはまる可能性」、
とでも訳せばいいだろうか。
「独創性」は「オリジナリティ」のこと。
「模倣によらないモノやコト」、
「独特のモノやコトを創造すること」、と訳される。
およそ、アートのシーンにおいて、
創作する側の人間に求められるのは、
実はこの「普遍性」と「独創性」なのである。
ゴッホ」の絵は「ゴッホ」の絵であり、
ルノアール」の絵は「ルノアール」の絵である。
ルノアール」の絵を「ピカソ」の絵と見間違う人間はいない。
それが「独創性」ということであり、
そこには作者の「哲学」があり、作者の「作風」というものがある。
しかし、いくら「独創性」があっても、
そこに「普遍性」がなければ、アートは成立しない。
美空ひばり」の声と節回しは「美空ひばり」独特のモノであり、
誰にも真似のできないモノであった。
それが「美空ひばり」の「独創性」であった。
また、彼女の声や歌には皆から愛される「普遍性」があった。
だからこそ、彼女は大スターになれたのだ。
数ヶ月前、あるコンサートに出向いた時のことだが、
ある日本人の作曲した曲が披露される、というシーンがあった。
しかし、なんとも聴き苦しく、胸くそが悪くなるような曲であった。
「独創的」といえば「独創的」かもしれないが、
そこには「普遍性」の欠片もなかった・・・。
美しさが少しも感じられない曲であった。
表現力の不足と技術力の不足が感じられた。
表現力と技術力の不足を「前衛的」、または「現代的」と言い換えられては、
聴かされているこちらがたまったものではない。
「前衛=作者の独りよがり」である場合が、実に多い。
「独りよがり」であるから、他人にはまったく理解し得ない。
「独創性」と「普遍性」、そして「表現力」と「技術力」
これらが見事に一つのモノやコトに凝縮された時、
はじめてそのモノやコトは「アート」と言えるのではないだろうか。
世間には、「哲学のある美しいモノ」と「哲学のある汚いモノ」があり、
「哲学のない美しいモノ」と「哲学のない汚いモノ」がある。
しかし、いくら哲学があろうとも、汚いモノは汚い。
哲学のある「ウンコ」など見たくもないし、触りたくもないのであるね。
アーティストたるもの、
アーティストを気取る前に、まずは職人でなければならないのではないだろうか。
まずは職人としての「技術力」を磨かなければ、
表現したいモノやコトをイメージ通りに表現はできない、のであるから・・・。