■ 普遍性と独創性
「普遍性」は「ユニバーサリティ」と訳される。
「すべての場合にあてはまる可能性」、
とでも訳せばいいだろうか。
「独創性」は「オリジナリティ」のこと。
「模倣によらないモノやコト」、
「独特のモノやコトを創造すること」、と訳される。
およそ、アートのシーンにおいて、
創作する側の人間に求められるのは、
実はこの「普遍性」と「独創性」なのである。
「ゴッホ」の絵は「ゴッホ」の絵であり、
「ルノアール」の絵は「ルノアール」の絵である。
「ルノアール」の絵を「ピカソ」の絵と見間違う人間はいない。
それが「独創性」ということであり、
そこには作者の「哲学」があり、作者の「作風」というものがある。
しかし、いくら「独創性」があっても、
そこに「普遍性」がなければ、アートは成立しない。
「美空ひばり」の声と節回しは「美空ひばり」独特のモノであり、
誰にも真似のできないモノであった。
それが「美空ひばり」の「独創性」であった。
また、彼女の声や歌には皆から愛される「普遍性」があった。
だからこそ、彼女は大スターになれたのだ。
数ヶ月前、あるコンサートに出向いた時のことだが、
ある日本人の作曲した曲が披露される、というシーンがあった。
しかし、なんとも聴き苦しく、胸くそが悪くなるような曲であった。
「独創的」といえば「独創的」かもしれないが、
そこには「普遍性」の欠片もなかった・・・。
美しさが少しも感じられない曲であった。
表現力の不足と技術力の不足が感じられた。
表現力と技術力の不足を「前衛的」、または「現代的」と言い換えられては、
聴かされているこちらがたまったものではない。
「前衛=作者の独りよがり」である場合が、実に多い。
「独りよがり」であるから、他人にはまったく理解し得ない。
「独創性」と「普遍性」、そして「表現力」と「技術力」
これらが見事に一つのモノやコトに凝縮された時、
はじめてそのモノやコトは「アート」と言えるのではないだろうか。
世間には、「哲学のある美しいモノ」と「哲学のある汚いモノ」があり、
「哲学のない美しいモノ」と「哲学のない汚いモノ」がある。
しかし、いくら哲学があろうとも、汚いモノは汚い。
哲学のある「ウンコ」など見たくもないし、触りたくもないのであるね。
アーティストたるもの、
アーティストを気取る前に、まずは職人でなければならないのではないだろうか。
まずは職人としての「技術力」を磨かなければ、
表現したいモノやコトをイメージ通りに表現はできない、のであるから・・・。