■ 整理・その5・加藤裕三のスケッチブック

aquio2007-11-14

グリコのおまけのデザイナーであった、
故「加藤裕三」が遺していったスケッチブック。
一九八十七年から九十三年までの間に、
「裕三」は約百五十点ものおまけをデザインした。
六年間で百五十点といえば、
約二週間で一つのデザインをこなした、ということになる。
紙の上におけるデザインだけではなく、
木を削り、
そのプロトタイプまで制作しなければならなかったのであるから、
その苦労たるや、察するに余りある・・・。
スケッチブックに描かれた絵には、
モビール」、「さより・細魚」、「エロチック・カメレオン」、
「カエルカー」、「マッチマン」・・・などと、
そのタイトルが記入されているのだが、
同時に、意味不明な言葉もいくつか記入されている。
なにしろ、字が汚いから、判読に苦労する・・・。
ある書道家が、
「裕三は書道家になった方が大成していたかもしれんな」、とそう言ったことがある。
「だって、あいつの字は読めないんだもの」
「それだけで書道家になれる素質がある!」、というのがその理由であった。
「裕三」の描く絵には「ピエロ」がよく登場する。
このスケッチブックの中にも、
「鯨の背中で魚釣りをするピエロ」、「花に水をやるピエロ」、
「犬と戯れているピエロ」、「腹話術師のピエロ」・・・等が登場する。
今から約五百年ほど前、
イタリアに「コメディア・デラルテ」という民衆劇が始まる。
ピエロの発祥は、その「コメディア・デラルテ」にあるが、
ピエロはいつも女に振られる役どころであった。
「裕三」は愛嬌のある顔つきをしていた。
あのなんとも言えない人の良さそうな顔が幸いしたのだろう、
なかなかの艶福家であったように思うが、
いつも、最後は女に振られていた。
たくさんの幸福に囲まれていたが、たくさんの不幸も背負い込んでいた。
芭蕉が詠んだ「おもしろうてやがて悲しき鵜船かな」ではないが、
ピエロも「おもしろうてやがて悲しきピエロかな」、であるように思える。
「裕三」の存在そのものも、「おもしろうてやがて悲しき加藤かな」、であった・・・な。
「裕三」の描く絵にはたくさんのピエロが登場する。
ピエロの存在と、己の存在を重ね合わせていたのかもしれない。
「裕三」が鬼籍に入ってから、今年で六年が過ぎた。
さて、明日から新潟に出張。
帰りは十七日の午前になる予定。