■ 整理・その5・加藤裕三のスケッチブック
グリコのおまけのデザイナーであった、
故「加藤裕三」が遺していったスケッチブック。
一九八十七年から九十三年までの間に、
「裕三」は約百五十点ものおまけをデザインした。
六年間で百五十点といえば、
約二週間で一つのデザインをこなした、ということになる。
紙の上におけるデザインだけではなく、
木を削り、
そのプロトタイプまで制作しなければならなかったのであるから、
その苦労たるや、察するに余りある・・・。
スケッチブックに描かれた絵には、
「モビール」、「さより・細魚」、「エロチック・カメレオン」、
「カエルカー」、「マッチマン」・・・などと、
そのタイトルが記入されているのだが、
同時に、意味不明な言葉もいくつか記入されている。
なにしろ、字が汚いから、判読に苦労する・・・。
ある書道家が、
「裕三は書道家になった方が大成していたかもしれんな」、とそう言ったことがある。
「だって、あいつの字は読めないんだもの」
「それだけで書道家になれる素質がある!」、というのがその理由であった。
「裕三」の描く絵には「ピエロ」がよく登場する。
このスケッチブックの中にも、
「鯨の背中で魚釣りをするピエロ」、「花に水をやるピエロ」、
「犬と戯れているピエロ」、「腹話術師のピエロ」・・・等が登場する。
今から約五百年ほど前、
イタリアに「コメディア・デラルテ」という民衆劇が始まる。
ピエロの発祥は、その「コメディア・デラルテ」にあるが、
ピエロはいつも女に振られる役どころであった。
「裕三」は愛嬌のある顔つきをしていた。
あのなんとも言えない人の良さそうな顔が幸いしたのだろう、
なかなかの艶福家であったように思うが、
いつも、最後は女に振られていた。
たくさんの幸福に囲まれていたが、たくさんの不幸も背負い込んでいた。
芭蕉が詠んだ「おもしろうてやがて悲しき鵜船かな」ではないが、
ピエロも「おもしろうてやがて悲しきピエロかな」、であるように思える。
「裕三」の存在そのものも、「おもしろうてやがて悲しき加藤かな」、であった・・・な。
「裕三」の描く絵にはたくさんのピエロが登場する。
ピエロの存在と、己の存在を重ね合わせていたのかもしれない。
「裕三」が鬼籍に入ってから、今年で六年が過ぎた。
さて、明日から新潟に出張。
帰りは十七日の午前になる予定。