■ 整理・その14・Bigot/ビゴー

aquio2008-01-28

一九九八年に「木魂社/こだましゃ」から発行された、
及川茂」著による「フランスの浮世絵師ビゴー」が届く。
表紙の錦絵(?)には、
「IMAGERIE d'Epinal」と印刷されている。
「フランスの浮世絵師ビゴー」によると、
「Georges Ferdinand Bigot/ジョルジュ・F・ビゴー」は、
日本の「浮世絵」を求めて来日した絵描きであった。
「ビゴー」は日本語を自由に話し、三味線を弾き、
歌舞伎を演じるほどの多才な人物であるとともに、
陸軍士官学校の画学教師でもあったらしい。
「ビゴー」が来日したのは明治十五年。
一八八二年のことであった。
日本に滞在したのは十八年にも及んだという。
その十八年の間に、
「ビゴー」は明治中期の日本の風俗を皮肉たっぷりに描いた。
自分の描いた風俗画をまとめた画集を出版したり、
日本人女性「マス」を妻に娶ったり、
とすっかり日本人として同化していたらしいが、
一八九九年、
「ビゴー」は妻の「マス」と離婚し、
一人息子の「モーリス」を連れてフランスに帰ってしまう。
フランスに帰った「ビゴー」は、
雑誌や新聞の挿絵画家として活躍を始めるが、
一九〇五年頃に描かれた新聞の挿絵を最後に、
「ビゴー」の画は見られなくなっていってしまう。
しかし、一九〇六年頃から、
「ビゴー」はフランスの浮世絵とでも言える、
「エピナール版画」を代表する画家となっていた、という。
事実、「エピナール」には「ビゴー」の版画が多数存在し、
少なくとも、現存する作品は百を超えるらしく、
推定でも、その数倍の版画作品がこの時期に制作されている、という。
ただ、彼が描いた作品はあまりにも大衆的であり、
作者である「ビゴー」に関心を抱く人間はほとんどいなかった、らしい。
さて、この「フランスの浮世絵師ビゴー」には、
二百点近くの図版も掲載されている。
なかなかの労作・・・。
久しぶりに読み応えのある本に出会ったような気がする。