■ ダークダックス
東京から戻る。
往きも帰りも、乗った新幹線は真っ新な「N700系」だった。
「N700系」は全席禁煙なのだが、
窓口で「喫煙希望」、と申し込むと、
喫煙スペースの近くの席をリザーブしてもらえる。
「N700系」の喫煙ブースは、
奥行き約一メートル、幅約三メートルほどの広さだった。
新幹線は高速で移動しているから、
当然、車内と車外の気圧には差が出る。
車体に小さな穴を開けておくだけで、
ブース内に溜まった煙草の煙は車外に吸い出されていってしまう。
多分、そんな原理を利用しているのだろう、
ブース内は驚くほど清潔に保たれていた。
ブース内に灰皿は三個。
景色を眺めながら煙草を吹かしていると、
四人連れの乗客がガヤガヤと入ってきた。
男が五人も入ればブースも狭い。
五人が窓に平行して立つことは不可能である。
喫煙者は譲り合いの精神が旺盛であるからして、
全員が窓に対して約四十五度の角度を保ちながら立つ、ということになる。
いわゆる「ダークダックス」方式。
今も立ち喰いの串カツ屋などでよく見られる光景である。
喫煙ブースの通路側は厚めのガラスで仕切られている。
設計者は喫煙ブースに開放感を持たせたかったのだろうが、
ブースを通路側から見ると、まるで金魚鉢のようであった・・・。
金魚鉢の中で煙草を吸う我々を、
通りすがりのオババが珍獣でも見るかのような目つきで見ておったが、
「おっ、なんだその目つきは!なんか文句あっか?」、なのであるね。
昭和二十一年の十二月、
兵庫県の有馬温泉に、旧・国鉄の設計者たち、戦闘機の設計者であった男たちが集まり、
東京〜大阪間を高速で移動する、
いわゆる「弾丸列車構想」について、第一回目の会合が持たれる。
この時の会合が、十八年後に誕生する「新幹線」に繋がっていくのだが、
私が「おぎゃ〜」と産まれたのも、昭和二十一年の十二月。
敗戦後間もない頃、満足に米すら喰えなかった時代に、
日本の将来を見越して活動を始めた男たちがいたのだ。
その会合の有様を想像したりしながら、金魚鉢の中で紫煙を燻らす。