■ 薬莢

aquio2008-03-18

一昨日から岡山の自宅に戻っている。
今朝、雪の解けた林の中を歩いていると、
枯れた草の中に、キラキラと光るモノがあった。
ライフル銃の薬莢であった・・・。
近くを探したところ、
三発のライフル銃の薬莢と、
一発の散弾銃の薬莢が見つかった・・・。
妻に訊くと、
「間近で鉄砲を撃つ音が幾度か聞こえたことがある」、と言う。
薬莢を見つけたのは、
自宅からわずか五十メートルほど離れたところ。
人家の間近でライフルの弾を放つ猟師がいるのだ。
「誤って・・・」、という事態は考えなかったのだろうか。
気が触れているのではなかろうか!?
列車に乗ってドイツを旅している時など、
森が途切れるあたりに、
日本の「火の見櫓」のような櫓が建っているのを、よく見る。
猟師の番小屋であるらしい。
猟師たちは伝統的な衣装で身を包み、
この番小屋の中に潜んで鹿の出現を待つのだという。
ドイツ人にとって、「狩り」はスポーツであるとともに、
食物を得るための神聖な儀式でもある、という。
「他の生き物の命を絶つ」ということは、そういうことなのである。
しかし、ま、文化が根本的に違うのであるから、
ドイツにはドイツのやり方があり、日本には日本のやり方がある。
ドイツの猟のあり方を讃称しているワケでは、決してない。
それにしても、田舎に生きる者にとって、 
農作物を食い荒らす動物の出現は、まことに困った問題ではあるな・・・。
田舎に住む人々にとっては死活の問題である。
里に下りてきた熊が人を襲う、などという事件も後を絶たない。
しかし、「害獣駆除」という名目があるにせよ、
人家の間近で鉄砲をぶっ放す、などという行為が許されていいはずはない。
一昨年の冬だったか、
庭に生えている合歓の木の樹皮を鹿が食べてしまう、という事件があった。
いわゆる鹿の「樹皮食い」だが、
「樹皮食い」にあった樹木は枯れてしまうしかない。
私たち家族は、「熊や鹿が生息している場所に家を建た方が悪い!」、と考えているが、
これが丹精込めた農作物である場合など、そう悠長に構えてばかりもいられない。
人間と動物は共生できないものか・・・。
森の再生しか、その道はないように思える。