■ 新潟

aquio2008-04-11

東京を経由して新潟に出かける。
新潟は桜満開の季節を迎えたばかりだった。
今日は午後三時から重要な会議があるのだが、
気分がどうにも乗らない・・・。
大きな屈託を抱えてしまっている。
十三年ほど前から、
ある第三セクターの運営に関与してきたのだが、
どうしてこうも無責任な輩が多いのだろうか・・・。
第三セクターの場合、
その社長は地方自治体の首長が兼務することが多いのだが、
次の選挙に立候補しなければ、首長はその責務から逃れられる。
第三セクターの社長とは名ばかり。
彼にとってはただの「あて職」でしかない・・・。
役員に名を連ねる他の役員たちも同じ。
地方自治体の議員が役員に名を連ねたりするが、
彼らにしても、次の選挙で負けてしまえば、
次の選挙に立候補しなければ、
彼らもその責務から逃れられる・・・。
彼らにとっても、役員とはただの「あて職」でしかないのだ。
では、いったい誰がその第三セクターの責務を負うのか?
現場で働く人間なのである。
戦争に例えてみれば分かり易い。
開戦を決意したのは大本営なのだが、
戦を始めた責任など、端から取るつもりはない。
また、大本営には阿呆が多いから、まともな作戦が立てられない。
戦の戦術と戦略は常に前線の指揮官に委ねられてきた。
委ねられるのは構わないのだが、
指揮官が立てた戦略に一々いちゃもんをつけてくる。
しかも、大本営からは、鉄砲の弾も、兵糧も送られてこない。
少量の弾が送られてくることもたまにはあるが、そんなものは焼け石に水・・・。
先月末、大本営に対し、現場指揮官としての辞意を表明する。
大本営の阿呆どもは顔を青くしていたが、
彼らの顔が青くなろうが赤くなろうが、そんなことは知ったことではない。
知ったことではないのだが、
大本営の阿呆どもに責任など望むべくもないから、
現場指揮官としては、部下の行く末に責任を持たなければならない。
さて、どうしたものか・・・。