■ 砂場

aquio2008-08-18

今朝は七時に起床。
八時からH社で重要な打ち合わせがある。
そのため、昨晩はH社の近くに宿をとっていた。
八時少し前、H社の玄関に到着。
待ち合わせていたP社の方々とエレベーターに乗りこむ。
H社の窓からは「赤坂サカス」が目前に観える。
午前十一時、打ち合わせは終了。
近くのカフェテリアで簡単な昼食を済ませ、
青山三丁目、キラー通りに面したR社に向かう。
R社における会議は縺れに縺れた。
解決の糸口が見つからない。
三年間にわたる努力が水泡に帰すかもしれない・・・。
しかし、ま、それは縁が無かったと諦めるしかないが、
田舎に住む人間の精神構造にはただただ呆れるばかりであるね。
余所者の力を借りなければ二進も三進もいかなくなっているくせに、
何かあると、すぐに「あんたは余所者だから」、などと言いやがる。
その人々に郷土愛があるとはとても思えないが、
その土地で生まれ育ったことにしか己の存在を確認する手立てがない。
考えてみれば哀れなことではあるし、
田舎に住む人々のすべてがそうだとは決して思わないが、
彼らは己の度量の狭さに気付いていない。
日本の田舎のほとんどがいわゆる「限界集落」に近づいているのだが、
その種を蒔いたのが自分たちであることにすら気付いていない。
岡山県のある村で聞いた話だが、
つい最近まで、嫁は家族と一緒に飯を食べることを許されていなかった、という。
家族の全員が食べ終わった後、嫁は台所で残り物を一人で食べなければならなかった、という。
他家から嫁いだ女は牛馬と同じ扱いであった。
現在、その村は嫁不足が深刻な問題になっているらしいが、そりゃあそうだろうさ。
母親の哀れな姿を見て育った娘たちが、
そのような村で生涯を過ごそうなどと思うはずはないではないか。
地域を良くするも悪くするも、
それはその地域に住む人々の意識にかかっている、ということに気付いていただきたいのだが・・・。
暗鬱とした会議であったな。
R社における会議が終了した後、
P社の方々と赤坂の「砂場」で蕎麦をたぐりながら一献傾ける。
いや、楽しい会食であった。
「砂場」の天ざるはなかなかに美味かった。