■ 映画館
Aさんの日記に
「ポップコーンは映画館の匂い」、と書かれていた。
Aさんはアメリカに住んでいらしゃったことのある方だが、
その日記を読んでいて、昔のことを思い出してしまった。
昨日の夕食の献立は忘れているのに、
昔のことは妙に鮮明に憶えている。
昔、私が小学生であった頃、
駅前に「松原劇場」という名の一軒の映画館があった。
今から五十数年も前のことであるから、
水洗トイレなど日本中のどこを探してもなかった。
暗幕を開けて中に入ると、
どこからともなく饐えたような臭いが漂ってくる。
客席の後ろ側、右手の奥には小さな売店があった。
エアコンなどない時代であるから、館内は夏は暑く、冬は寒かった・・・。
通路には穴が掘られていて、金網が被せてあった。
冬になると、この穴の中に火鉢を入れるのである。
当然、冬場は火鉢の回りの席に人気が集中した。
「嵐寛寿郎」の「鞍馬天狗」や、「片岡千恵蔵」の「七つの顔を持つ男」、
「市川歌右衛門」の「旗本退屈男」などなど・・・。
小遣いを貯めてはよく観にいったものだった。
入場料が大人四十五円、子ども二十五円の時代のこと。
そういえば、初めて総天然色(当時はカラー映画のことをそう呼んだ)
の映画を観たのも、その頃だった。
グラマラスな白人の女が猫脚のついたバスタブで湯浴みするという映画だが、
黒人のメイドが大きなタオルで肝心な部分を隠してしまう。
両手で顔を覆いながら、指の隙間からスクリーンを観ていたことを思い出す。
それが、生まれて初めて観たカラー映画だった。
現代であれば、市の教育委員会が黙ってはいないような内容の映画だったな。
あの日の映画は、その「バスタブ映画」と「山川惣治」原作による「少年ケニヤ」、
それともう一本は何だったっけ・・・?
大阪のド田舎の映画館には便所と醤油煎餅の臭いが漂っていた。