■ 猫と息子
今から四年ほど前のこと、
富山の国道で瀕死の重傷を負っていた子猫を、
息子は助けて家に連れ帰ったことがあった。
昨夜、十一時頃、
その猫がいなくなった、という連絡が入る。
猫の名前は「あんこ」。
アパートの部屋の中で飼っていたのだが、
ガラス戸の隙間から網戸を破って脱出を試みたらしい。
一日の仕事を終えて部屋に帰ってみると、
あんこの姿が何処にも見えなかったらしい。
「今から捜しにいってみる」、という電話。
初秋とはいえ、六甲山の夜はけっこう冷える。
鳴き声でも聞こえればいいのだが、
猫は寒がりであるから、
この時間では、どこかに暖かなねぐらを見つけて眠っているに違いない。
「朝になってから捜しに行ってはどうか?」、と勧めたが、
「いや、やはり心配だから・・・」、と言う。
疲れていた私はそのまま寝床に潜りこんでしまったが、
「ひょっとしたら、あいつのことだから見つかるまで帰らないのじゃないか!?」、
という考えが何度も頭をよぎる。
今朝、妻から私の携帯電話に連絡が入る。
今朝の六時にあんこが見つかったらしい。
どうやら、今朝の六時まで息子はあんこを捜し続けていたらしい。
やはり、ね・・・。
今から二十年ほど前、
息子は一匹のジャーマン・シェパードを飼っていた。
名前は「シュバルツ」。
よく息子に懐いていた犬だったが、
息子が高校を卒業し、富山のイタリア・レストランに修行に出る時、
シュバルツを富山まで連れていくわけにはいかなかった。
シュバルツの世話は私たち夫婦の手に委ねられたのだが、
一年後の冬、極寒の日の朝、シュバルツはあっけなく死んでしまった。
最後まで世話をしてやれなかったことを悔やんだのだろう、
息子はシュバルツの墓の前で涙を流していた。
そんな経験があるから、
息子は一晩中あんこを捜し続けていたのだ、と思う。
優しい息子を持った。