■ 猫と息子

aquio2008-10-16

今から四年ほど前のこと、
富山の国道で瀕死の重傷を負っていた子猫を、
息子は助けて家に連れ帰ったことがあった。
昨夜、十一時頃、
その猫がいなくなった、という連絡が入る。
猫の名前は「あんこ」。
アパートの部屋の中で飼っていたのだが、
ガラス戸の隙間から網戸を破って脱出を試みたらしい。
一日の仕事を終えて部屋に帰ってみると、
あんこの姿が何処にも見えなかったらしい。
「今から捜しにいってみる」、という電話。
初秋とはいえ、六甲山の夜はけっこう冷える。
鳴き声でも聞こえればいいのだが、
猫は寒がりであるから、
この時間では、どこかに暖かなねぐらを見つけて眠っているに違いない。
「朝になってから捜しに行ってはどうか?」、と勧めたが、
「いや、やはり心配だから・・・」、と言う。
疲れていた私はそのまま寝床に潜りこんでしまったが、
「ひょっとしたら、あいつのことだから見つかるまで帰らないのじゃないか!?」、
という考えが何度も頭をよぎる。
今朝、妻から私の携帯電話に連絡が入る。
今朝の六時にあんこが見つかったらしい。
どうやら、今朝の六時まで息子はあんこを捜し続けていたらしい。
やはり、ね・・・。
今から二十年ほど前、
息子は一匹のジャーマン・シェパードを飼っていた。
名前は「シュバルツ」。
よく息子に懐いていた犬だったが、
息子が高校を卒業し、富山のイタリア・レストランに修行に出る時、
シュバルツを富山まで連れていくわけにはいかなかった。
シュバルツの世話は私たち夫婦の手に委ねられたのだが、
一年後の冬、極寒の日の朝、シュバルツはあっけなく死んでしまった。
最後まで世話をしてやれなかったことを悔やんだのだろう、
息子はシュバルツの墓の前で涙を流していた。
そんな経験があるから、
息子は一晩中あんこを捜し続けていたのだ、と思う。
優しい息子を持った。