■ 宗教

aquio2005-03-29

アトリエの机の中を整理していたら、
「OBERAMMERGAU/オーバーアマガウ」で買った
木彫りの天使が出てきた。
サンプルとして買ったもの。
机の上に置いて眺めていると、
キリスト教を信じているんですか?」と
職員のNが声をかけてきた。
キリスト教は信じないが、
八百万の神なら信じられる」と言うと、
「フ〜ン」というような顔をしていた。
こう見えても
(どう見えているかは知らないが)、
中学・高校時代には、
「宗教研究会」という
怪しげなクラブに所属していたことがある。
ま、聖書を読むのが主な活動だったが、
同時に、いろんな宗教の成り立ちも勉強した。
六年に及ぶクラブ活動の結果、
「死」というものがなければ、
人は「神」を造りだしはしなかった。
神が人を創造したのではなく、
人が神を創造したのではないか・・・。
と、そう考えるようになった。
一神教には様々な戒律がある。
「アレをしろ、コレをしろ」、
「アレをやっちゃぁ駄目」とか
「コレもしちゃぁ駄目」とか、
一神教の神は人間の生活にいちいち口を挿んでくる。
相手が人であろうと神であろうと、
私は指図を受けるのが大嫌いなのだ。
もう、これだけのことで、
私は一神教を受け入れられない。
それに比べて、
日本の神道の神々は何も言わない。
「ただそこに存在するだけ」なのだ。
それに、
「捨てる神」もあれば「拾う神」もある・・・。
私は雪深い田舎に三十年も住んでいる。
自然に囲まれて生活していると、
精霊のようなものの存在が信じられるようになる。
原初的なアニミズムと笑われるかも知れないが、
山に精霊が宿り、
木々にも精霊が宿ることが実感として理解されるのだ。
不思議な感覚だが・・・。