■ 石津謙介さん

aquio2005-05-28

二十六日の深夜、新潟から帰る。
二十七日は神戸の職場に出勤。
午後九時に岡山のH村に向けて出発。
今朝からH村の職場に出勤している。
明日は北海道からYさんがやって来る。
伊丹空港まで迎えにいく約束。
今夜中に神戸に戻っていなければ・・・。
神戸〜東京〜新潟〜富山〜神戸、
神戸〜H村〜神戸。
この五日間の移動距離は一八〇〇キロを超える・・・。
ちっとも休ませてはもらえない。
もっとも、
バタバタと動き回っている方が性分には合ってる。
鮫は泳ぎを止めると窒息してしまうらしいが、
私も鮫に似た体質なのかも知れない・・・。
東京から新潟に向かう新幹線の車中で、
「VAN JAC.」の創業社長でいらしゃった「石津謙介」さんの訃報に接する。
会社に行く時も背広、
新婚旅行に出かける時も背広、
家族と動物園に遊びに行く時も背広・・・。
背広一着あればすべてに事足りていた時代、
日本の男のファッションは「ドブネズミ色」と言われていた時代にあって、
石津さんは「TPO」という概念を提唱された。
T=TIME=時、P=PLACE=場所、O=OCCASION=場合。
「時と場所と場合に応じて服を着替えよう」という提案だった。
今では当たり前すぎるほど当たり前のことではあるが・・・。
約三十年前の冬、
東京の青山であるパーティが催されたことがあった。
主賓は石津謙介さん。
主催者はVAN JAC.の社長室長であったOさん。
当時、私は長野県の白馬村に住んでいた。
白馬村ならではのモノを一品持ってきて欲しい」、
そんなOさんのリクエストにお応えして、
私は大量のツララを車に載せて青山に向かった。
ツララで作ったオン・ザ・ロック
それを石津さんは美味しそうに召し上がっていたことを思い出す。
当日の石津さんの出立ちは、
紺の袴に水色の紋付。
紋付の下には黒のタートル・ネック・セーター。
白足袋に白い鼻緒の雪駄
そして、首には鮮やかな水色のマフラー・・・・。
なんともお洒落なお爺さんだった。
その生き方において、私は石津さんに大きな影響を受けた。
享年九十三歳。
確実に一つの時代が終りかけている。