■ 地球の上に生きる

aquio2005-08-15

八月六日の日記を書いていて、
ふと思い出した本があった。
アリシア・ベイ=ローレル」の「地球の上に生きる」。
自宅の書架に置いてあったことを思い出し、
神戸のアパートに持ち帰ってきた。
この本が世界的なベスト・セラーになったのは、
確か一九七二年のことであったと記憶している。
本を読みながら、様々な出来事を思い出していた。
六十七年の初頭、
サンフランシスコのゴールデン・パークで開かれた
「LOVE IN」というイベントに一万人を超える若者が集まった。
このイベントで「ヒッピー」の宣言がなされた。
体制や物欲の否定と、
自然への回帰やスピリチュアルな生活をうたう運動であった。
その背景には泥沼化する「ベトナム戦争」があった・・・。
日本では沖縄の嘉手納や横須賀から、
ベトナムへの空爆に向かう爆撃機が毎日のように飛び立っていた・・・。
一九六十九年八月、
世界平和の祈りを音楽に託した一大イベント、
ウッドストック/WOODSTOCK MUSIC and ART FAIR」が開催される。
多くのアーティストたちがノー・ギャラで参加した。
サンタナ」「ジミー・ヘンドリックス」「ジョーン・バエズ」「ラビ・シャンカール」
ジャニス・ジョプリン」「ジェファーソン・エアプレーン」、
そして「ジョー・コッカー」・・・・。
世界が「ロックは金になる」ことに気づいたイベントでもあった。
このウッドストックでヒッピーの文化は頂点を迎え、
日本でも「UNDERGROUND」、
いわゆる「アングラ」と呼ばれる前衛的な芸術運動が始まる。
寺山修司」「宇野亜喜良」「横尾忠則」「金子國義」・・・。
レナウン」の「イエイエ」もこの頃だった。
新宿の画廊喫茶「風月堂」(あぁ、懐かしい・・・)には、
その時代のカウンター・カルチャーの旗手であった
劇団員やミュージシャン、画家や作家たちが集まっていた・・・・。
そしてまた時を同じくして、
街には「フーテン(瘋癲)族」と呼ばれる、
ヒッピーの文化を真似ただけの若者たちが出現するようになる。
彼らの興味の対象はドラッグとセックスだけであったが、
彼らもまた時代の閉塞を感じていたのだろう、と思う・・・・。
使い古されて手垢のついたような表現だが、
あの時代こそ、まさしく「激動の時代」であった。