■ つくつく法師
私が三歳の子どもであった頃、
兵庫県の明石市では
四百三十軒もの民家が焼ける大火があった。
その火事で私の父はすべての財産を無くしてしまった。
すべてを無くした父は兄を頼って大阪に出た。
それから何度の引越しを経験しただろうか。
そんな経験があるからか、
財産を持たなければ財産を失うことはない・・・と、
つくづくそう思う自分がいる。
家や土地を持つために人生があるのではない。
モノを持てば、モノを持つことの苦しみを抱えることになる。
家や土地に執着する人の心が理解できない・・・。
「どう生きるか!?」、そのことにしか興味が持てない。
「どう生きるか!?」、そのことのために家や土地やモノが要るのだと思う。
しかし、
振り返ってみれば根無し草のような半生であったと思う。
わがままいっぱいの半生であったと思う。
野垂れ死ぬのが相応しい人生であるとも思う・・・。
「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」
藤原敏行の歌だったろうか・・・・。
アトリエの近くには四つの寺がある。
今朝は薬師如来を祭る寺の境内を散歩してきた。
衆生の病苦を救うとされる薬師如来。
日光と月光の菩薩を脇持として従えている。
左手に薬壷を持った薬師如来の姿を眺めているうち、
ついつい手を合わせている自分がいることに驚かされた。
寺の境内ではつくつく法師がやかましく鳴いていた。
つくつく法師が鳴きだすと、夏ももう終わり。
季節は初秋。人生も初秋・・・。
「この旅 果もない旅のつくつくぼうし」種田山頭火。