■ つくつく法師

aquio2005-08-30

私が三歳の子どもであった頃、
兵庫県明石市では
四百三十軒もの民家が焼ける大火があった。
その火事で私の父はすべての財産を無くしてしまった。
すべてを無くした父は兄を頼って大阪に出た。
それから何度の引越しを経験しただろうか。
そんな経験があるからか、
財産を持たなければ財産を失うことはない・・・と、
つくづくそう思う自分がいる。
家や土地を持つために人生があるのではない。
モノを持てば、モノを持つことの苦しみを抱えることになる。
家や土地に執着する人の心が理解できない・・・。
「どう生きるか!?」、そのことにしか興味が持てない。
「どう生きるか!?」、そのことのために家や土地やモノが要るのだと思う。
しかし、
振り返ってみれば根無し草のような半生であったと思う。
わがままいっぱいの半生であったと思う。
野垂れ死ぬのが相応しい人生であるとも思う・・・。
「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」
藤原敏行の歌だったろうか・・・・。
アトリエの近くには四つの寺がある。
今朝は薬師如来を祭る寺の境内を散歩してきた。
衆生の病苦を救うとされる薬師如来
日光と月光の菩薩を脇持として従えている。
左手に薬壷を持った薬師如来の姿を眺めているうち、
ついつい手を合わせている自分がいることに驚かされた。
寺の境内ではつくつく法師がやかましく鳴いていた。
つくつく法師が鳴きだすと、夏ももう終わり。
季節は初秋。人生も初秋・・・。
「この旅 果もない旅のつくつくぼうし」種田山頭火