■ 死

aquio2006-07-17

三日前、十四日の夜のことだった。
いつもの喫茶店で本を読んでいると、
数人の若者たちの会話が聞えてきた。
「死」についての議論であった。
若い彼らにとって、「死」は議論の対象であり、
観念であるとしか思えないが、
私のような世代の人間にとって、
「死」はいつも実感として背中に貼り付いている。
送られてくる高校時代の卒業生名簿にも、
「死亡」の文字が見られるようになってきた・・・。
現在、男の平均寿命は七十八歳程度であるらしい。
七十五歳で寿命が尽きると仮定すると、
残された時間はたった十五年しかない。
一年は三百六十五日。
「365日×15年=5475日」
私には五千四百七十五日ほどしか残されていないのだ。
一日に一円ずつ貯金すると仮定しても、
五千四百七十五円が貯まる頃には死ななければならない・・・。
「金」という身近なものに数字を置き換えてみると、
その短さが、より一層ひしひしと伝わってくる。
ま、それを「・・・日しかない」と見るか、
「・・・日もある」と見るかで、
これからの人生が違ってくるようには、思える。
しかし、どのように捉えても、「死はすぐそこにあるもの」なのである。
人の産まれ方は同じだが、死に方は様々・・・。
私はどんな死に方をするのだろう?
私は私のために生まれてきた。
そのことに間違いはない。
しかし、私は何のために死ぬのだろうか・・・?
ひょっとしたら、それは死ぬ間際にこそ分かることなのかもしれない。
しかし、ま、「明日もある」という前提のもと、
取りあえずは今日しておかなければならないことを片付けてしまおう。