■ 通過儀礼
Fさんと「通過儀礼」について話し合う。
昔、日本には「元服」という儀礼があった。
これは武家における式典なのだが、
「元服」を終えた武家の子は、
その日から一人前の男と認められた。
従って、翌日から大人と共に戦に出ることもあれば、
その戦で命を落とすこともあった。
人生五十年と言われた頃のことであるから、
一日の密度が
現代とは比べ物にならないほど濃かったのだろう。
明治、大正、昭和の初期には、
軍隊への入隊が一種の「通過儀礼」であったのかもしれない。
女子の「通過儀礼」については詳しくないが、
女子が初潮を迎えた時、
地方によっては赤飯を炊いて祝った、という話を聞いた覚えがある。
これも一種の「通過儀礼」であったのだろう。
メラニシアのある島で行われる「バンジージャンプ」が
「通過儀礼」としては有名であるが、
日本においては、その生活がアメリカナイズされるとともに、
「通過儀礼」と呼べるものはほとんど無くなってしまった・・・。
ま、「成人の日」が「通過儀礼」といえば「通過儀礼」なのだが、
メディアを通じて報道される「成人の日」の様子を見る限りでは、
とてもとても「通過儀礼」と呼べるほどの緊張感は、ない。
つくづく平和な時代だとは思うが、
「通過儀礼」は人生の節目節目にある種の緊張をもたらすのではないだろうか。
大学受験が現代の「通過儀礼」であるとする意見もあるようだが、
通過したとたん、学士としての緊張は解けていってしまう・・・。
「通過儀礼」は人生に一種のメリハリを与える。
私の場合、親から用意された「儀礼」は無かったが、
仕事の上の大きな失敗、抱えてしまった難題・・・・、
それらのすべてが一種の「通過儀礼」であったように思える。