■ 通過儀礼

aquio2007-05-25

Fさんと「通過儀礼」について話し合う。
昔、日本には「元服」という儀礼があった。
これは武家における式典なのだが、
元服」を終えた武家の子は、
その日から一人前の男と認められた。
従って、翌日から大人と共に戦に出ることもあれば、
その戦で命を落とすこともあった。
人生五十年と言われた頃のことであるから、
一日の密度が
現代とは比べ物にならないほど濃かったのだろう。
明治、大正、昭和の初期には、
軍隊への入隊が一種の「通過儀礼」であったのかもしれない。
女子の「通過儀礼」については詳しくないが、
女子が初潮を迎えた時、
地方によっては赤飯を炊いて祝った、という話を聞いた覚えがある。
これも一種の「通過儀礼」であったのだろう。
ラニシアのある島で行われる「バンジージャンプ」が
通過儀礼」としては有名であるが、
日本においては、その生活がアメリカナイズされるとともに、
通過儀礼」と呼べるものはほとんど無くなってしまった・・・。
ま、「成人の日」が「通過儀礼」といえば「通過儀礼」なのだが、
メディアを通じて報道される「成人の日」の様子を見る限りでは、
とてもとても「通過儀礼」と呼べるほどの緊張感は、ない。
つくづく平和な時代だとは思うが、
通過儀礼」は人生の節目節目にある種の緊張をもたらすのではないだろうか。
大学受験が現代の「通過儀礼」であるとする意見もあるようだが、
通過したとたん、学士としての緊張は解けていってしまう・・・。
通過儀礼」は人生に一種のメリハリを与える。
私の場合、親から用意された「儀礼」は無かったが、
仕事の上の大きな失敗、抱えてしまった難題・・・・、
それらのすべてが一種の「通過儀礼」であったように思える。