■ 天狗屋久吉

aquio2007-06-07

先日、徳島にお住まいのNさんから
「三代目・天狗久」の手になる浄瑠璃人形、
八百屋お七」を頂戴する。
そのことは五月三十日の日記に書いた。
あまりにも有名な「天狗久」のことであるから、
ある程度の知識はあったものの、
もう少し「天狗久」なる人物のことを知りたいと欲し、
いろいろと書籍を物色していたところ、
「天狗久」の言葉を聞き書いた書籍があることを知る。
あの「宇野千代」が著したモノであるらしい。
昨日、その「宇野千代聞書集」を購入。
この著書には「人形師天狗屋久吉」「日露の戦聞書」、
そして「おはん」の三作が収められている。
「久吉」の言葉の中に、以下のような部分があった。
「私の人生はただ木を刻むだけである」
「自分の作ったものを誰に渡した、ということは憶えていない」
「また、あの人形はいい出来であった、ということも憶えていない」
「いい出来であったから、手渡すのが惜しいなどと思ったこともない」
「私が拵えたものであるから、いつでもそれ以上のものが出来ると考えている」
「飛騨の匠たちも、これでいいと思って死んでいったのではないだろう」
「左甚五郎も、これでいいと思って死んでいったのではない」
「飛騨の匠たちも、長生きしていればどれほどのことをしてのけただろうか」
「左甚五郎も、長生きしていればいったいどれほどのことをしてのけただろうか」
「死んでしまえば、そこでその人の芸はお仕舞いである」
精進に精進を重ねた男の言葉・・・。
「拵える/こしらえる」という言葉にも胸を打たれる。
「拵える」には「あれこれ手を加え、思うようなものに仕上げる」、という意味があるが、
この「思うようなものに仕上げる」という部分に、「拵える」という言葉の眼目がある。
さて、もの作りの片隅に席を置く一人として、
私ははたして「拵える」という態度でもの作りに挑んできたのだろうか。
いろいろと考えさせられる・・・。