■ 四十八茶百鼠

aquio2007-06-24

「四十八茶百鼠/しじゅうはっちゃひゃくねず」
茶色には四十八の色があり、
鼠色には百の色がある、という意味の言葉。
それだけの色が実際にある、というのではなく、
八百屋、八百八橋、四十八手、と同じように、
四十八と百には「たくさん」という意味があるのだろう。
城ヶ島には「利休鼠」の雨が降る、
とそう詠ったのは「北原白秋」だった。
城ヶ島の磯に緑がかった鼠色の雨が降る・・・。
その情景が眼に浮かぶような詩ではある。
山里には昨晩から霧雨が降り続いている。
空色に塗った紙に薄墨を流したような空の色。
「白秋」であれば、
今朝の雨の色をなんと表現するのだろう・・・。
陰鬱な空の色だが、妙に心がしっとりと落ち着く。
私の目頭の部分、
つまり、鼻に近い部分の上瞼の皮は、下瞼に被さっている。
いわゆる「蒙古襞」と呼ばれるものだが、
「蒙古襞」は渡来系弥生人の典型的な特徴だと言われている。
「蒙古襞」があることといい、
雨の日が嫌いではないことといい、
どうやら私は水耕の技術をもたらした弥生人の血が濃いのではないか、
などと、雨を眺めながらとりとめもないことを考えたりする。
縄文人弥生人が混血を繰り返した結果、
現代の日本人の体形や骨格が出来上がったらしいが、
弥生人が「水の民」であったとしたら、
縄文人は「火の民」であったかもしれないな、
などと、雨を眺めながらとりとめもないことを考えたりする。