■ aquirax

aquio2007-08-06

教育画劇」が出版した「りゅうのおくりもの」。
宇野亜喜良」がイラストを手がけた飛び出す絵本。
私がまだ一介の貧乏な画学生であった頃、
宇野亜喜良」はすでに
広告宣伝業界におけるスーパースターであった。
宇野亜喜良」と「横尾忠則」と「和田誠」、
この三人が当時のイラストの世界をリードしていた。
和田誠」も大好きなイラストレーターであったが、
私が強く惹かれたのが「宇野亜喜良」であった。
「どうすればこのような耽美な線が描けるのか?」。
私は彼の描くイラストの模写をよくしたものだった。
ある時、彼のサインが「aquirax」であることに気付く。
「亜喜良」だから「aquirax」・・・。
軽薄な若造であった私は、
ナンテカッコイインダロウ・・・」
「亜喜良が<aquirax>なら、俺は<aquio>でいこう」
「いつか俺の絵に<aquio>のサインを入れてやる」、とそう心に決めたのだった。
一生懸命にサインの練習に励んだこともあったが、
今となっては、サインの練習よりも絵の練習に励むべきであった、と苦笑を禁じえない。
アメリカの「SEYMOUR CHWAST/シーモアクワスト」と
フランスの「RAYMOND SAVIGNAC/レイモンド・サヴィニャック」、
そして日本の「宇野亜喜良」。
この三名の描くイラストが私に大きな影響を私に与えた・・・。
話は変わるが、
ただ一本の道を弛まず歩き続ける者だけが一流の人間になれる。
そのように思うが、私には歩かなければならない道が何本もある。
同時に幾つもの道を歩まなければならない・・・。
自分で選択した歩き方であるから仕方がないのだが、
従って、私は決して一流にはなれない、とそう思うことがある。
一流という言葉を「極める」という言葉に置き換えれば分かり易い。
「極める」ためには道を整理しなければならない。
「極める」ためには己と格闘する時間が必要なのだが、
私も棺桶に爪先を入れているような歳になった。
そろそろ時間切れが迫っている。
道を一本に絞り込まなければならない・・・。
このままではすべての道が中途半端なままで途切れてしまう。
そのことに恐怖を覚える。