■ もみじ

aquio2007-09-15

今朝から岡山の自宅に戻っている。
山里はすっかり秋の気配。
其処此処から虫の声が聞えてくる。
気の早い「みずき」はもう紅葉を始めていた。
自宅の玄関を開けると、
二人の叔母が神戸からやって来ていた。
母は今年で八十二歳。
叔母は、それぞれ七十七歳と七十五歳になった。
母も妻も久しぶりに楽しかったのだろう、
四人のお喋りは深夜まで止むことがなかったが、
遠くで聞いていると、
「ミャアミャア・ゴロゴロ・ニャンニャン・・・」、
とまるで四匹の老猫がじゃれあっているように聞える。
気分が高揚しているからか、声も大きい。
夕食に「またたび」でも食ったんではないだろうか。
猫は歳をとると人語を解し、人語を話す、という。
年老いた猫のことを「猫又/ねこまた」と呼び、
それらの尾は必ず二つに分かれているらしい。
それとなく観察したところ、
四人に二又の尻尾は生えていなかった。
きっと、スカートの中にでも上手に隠しているのだろう。
それにしても、
とてもじゃないが、あの会話の中には入って行けない。
つくづく、男と女はまったく違う生き物であるな、と感じる。
母は七人兄妹の長女。
二人の兄のうち、一人は前の戦争で戦死し、
もう一人の兄は、昨年八十二歳で鬼籍に入った。
母方の祖父は九十二歳、祖母は八十九歳まで生きた。
母の家系は皆が長寿のようであるが、父方の家系にも長寿を全うする者が多い。
ひょっとしたら、私も長寿であるかも知れないが、
母や妻や叔母たちに比べたら、ずっと短命で終わるに違いない。
彼女たちの今夜の会話を聞いていて、そのことを確信する。