■ 新潟中越沖地震
新潟県の中越地方を襲った、
いわゆる「中越沖地震」が起きたのは、
この七月十六日の午前十時ころのことだった。
今日、東京から長岡を経由して柏崎に向かう。
柏崎から刈羽村に向かう途中、
「中越沖地震」の被害について、
タクシーの運転手はいろいろと話をしてくれた。
前述したように、地震は七月十六日に起きた。
当日は「海の日」。
多くの住民が海や郊外に出かけていたらしいが、
祝日とはいえ、地震がもう少し早い時間に起きていれば、
もっと多くの人的被害が出ていたであろう、ということであった。
大震災のあった神戸とは町の規模が違うとはいえ、
それでも、被災された方々の悲鳴が聞えてくるような惨状であった。
もうすでに取り壊されて更地になってしまった家。
倒壊したままの無残な姿をさらしている家・・・。
タクシーの運転手から、
「あの家の下敷きになって人が死んだ」、などの話を聞かされる。
地震から三ヶ月経った今も、
約三千人の方々が仮設住宅での生活を余儀なくされているらしい。
混乱の中、政府から「被害を視察したい」、という要請が入ったため、
大型ヘリコプターが着陸できる場所を確保しなければならなかったらしい。
液状化を起した土地ではなかなかその場所が見つからなかった、という。
身分の極めて高い方がお越しになる、というので、
大型ヘリコプター三機が着陸できる場所も確保しなければならなかった、とも聞く。
そのため、避難場所も慌てて大掃除しなければならなかったらしいが、
整理整頓された避難場所を見せてどうするのだろう。
混乱の極みにある被災の現場を見てこそ、視察になるのではないか・・・。
ボランティアの方々の活動はとても有り難かった。
しかし、インスタント・ラーメンを千食分用意してくれたまでは良かったが、
「千食分の丼と割り箸を用意しろ!」、と言ってきたボランティアには呆れた、という話も聞く。
ほとんどの家が倒壊した被災地において、千食分の丼などどこにも無い。
あったとしても、それを集める手間など誰も持ち合わせてはいない。
丼が用意できないことに対し、
「せっかく用意してきてやったのに」、とそのボランティア・グループは腹を立てていたらしい。
馬鹿なんだね、きっと!?。
「極限の状態におかれた時、その人の人となりが如実に表れる」
「いい奴だと思っていた人が信じられなくなってしまった」
「地震が壊していったのは家だけじゃないんだよね・・・」
運転手の締めくくりの言葉が重く響く・・・。