■ 新潟中越沖地震

aquio2007-10-20

新潟県中越地方を襲った、
いわゆる「中越沖地震」が起きたのは、
この七月十六日の午前十時ころのことだった。
今日、東京から長岡を経由して柏崎に向かう。
柏崎から刈羽村に向かう途中、
中越沖地震」の被害について、
タクシーの運転手はいろいろと話をしてくれた。
前述したように、地震は七月十六日に起きた。
当日は「海の日」。
多くの住民が海や郊外に出かけていたらしいが、
祝日とはいえ、地震がもう少し早い時間に起きていれば、
もっと多くの人的被害が出ていたであろう、ということであった。
大震災のあった神戸とは町の規模が違うとはいえ、
それでも、被災された方々の悲鳴が聞えてくるような惨状であった。
もうすでに取り壊されて更地になってしまった家。
倒壊したままの無残な姿をさらしている家・・・。
タクシーの運転手から、
「あの家の下敷きになって人が死んだ」、などの話を聞かされる。
地震から三ヶ月経った今も、
約三千人の方々が仮設住宅での生活を余儀なくされているらしい。
混乱の中、政府から「被害を視察したい」、という要請が入ったため、
大型ヘリコプターが着陸できる場所を確保しなければならなかったらしい。
液状化を起した土地ではなかなかその場所が見つからなかった、という。
身分の極めて高い方がお越しになる、というので、
大型ヘリコプター三機が着陸できる場所も確保しなければならなかった、とも聞く。
そのため、避難場所も慌てて大掃除しなければならなかったらしいが、
整理整頓された避難場所を見せてどうするのだろう。
混乱の極みにある被災の現場を見てこそ、視察になるのではないか・・・。
ボランティアの方々の活動はとても有り難かった。
しかし、インスタント・ラーメンを千食分用意してくれたまでは良かったが、
「千食分の丼と割り箸を用意しろ!」、と言ってきたボランティアには呆れた、という話も聞く。
ほとんどの家が倒壊した被災地において、千食分の丼などどこにも無い。
あったとしても、それを集める手間など誰も持ち合わせてはいない。
丼が用意できないことに対し、
「せっかく用意してきてやったのに」、とそのボランティア・グループは腹を立てていたらしい。
馬鹿なんだね、きっと!?。
「極限の状態におかれた時、その人の人となりが如実に表れる」
「いい奴だと思っていた人が信じられなくなってしまった」
地震が壊していったのは家だけじゃないんだよね・・・」
運転手の締めくくりの言葉が重く響く・・・。