■ ソイレント・グリーン

aquio2007-10-21

東京発十六時十三分「のぞみ43号」に飛び乗る。
窓の外では次第に日が暮れていく。
車窓にカメラを向け、いたずらにシャッターを切る。
モンドリアン」の「コンポジション」には程遠いが、
それなりに抽象的な面白い画像が得られる。
中には、「ブロードウェイ・ブギ・ウギ」のような、
明るい調子の夜景も写りこんでくる。
ぼんやりと車窓に映る夜景を眺めながら、
一昨夜の飲み会のことを思い出す。
NHKのKさんと、刈羽村のSさん。
菓子工房を経営していらっしゃるNさん。
東京青山のコンサルタント会社の社長でいらっしゃるTさん。
そして、私の五人の飲み会だった。
五人の歳は皆同じようなもの。
戦争であったり、貧困であったり、
とその原因は様々であったが、一様に子どもの頃に「飢餓」を経験した者ばかりであった。
「喰う」という本能的な行為に対し、夫々が夫々の意見を持っていた。
確か、「ソイレント・グリーン」という題名だったと思うが、
「チャールトン・へストン」主演の映画が三十五年ほど前に封切られたことがあった。
時代は二十一世紀の中頃、という設定の映画であったと記憶しているが、
人口が爆発的に増加した時代、
一握りの支配者が圧倒的多数の貧民を支配する時代、
肉や野菜といった自然食品は支配者たちしか喰うことができず、
貧民は「ソイレント社」から支給される、
「ソイレント・グリーン」という錠剤(だったかな?)を食べて命をつないでいた。
「ソイレント・グリーン」は
海から採れるプランクトンを加工した「食品」という触れ込みであった。
そこに「ヘストン」扮する刑事が登場するのだが、
安楽死を希望した老人を追跡していくうち、
実は、「ソイレント・グリーン」の原料は「人間」の死体であった、という事実に突き当たる。
人口が爆発的に増加しているのであるから、
「ソイレント・グリーン」の原料の入手には事欠かない、のであった。
また、支配者が住む家には、
若い女が「調度品」として置かれていた、というシーンも忘れられない。
つい最近、「金があれば人間も買える」、とそう豪語した阿呆がいたが、
彼らにとっては、近寄る若い女たちはまさしく調度品であったのだろう。
世界は「ソイレント・グリーン」が描いた時代に近づいている。
「飢餓」はすぐそこにあるように思えてならない。