■ ソイレント・グリーン
東京発十六時十三分「のぞみ43号」に飛び乗る。
窓の外では次第に日が暮れていく。
車窓にカメラを向け、いたずらにシャッターを切る。
「モンドリアン」の「コンポジション」には程遠いが、
それなりに抽象的な面白い画像が得られる。
中には、「ブロードウェイ・ブギ・ウギ」のような、
明るい調子の夜景も写りこんでくる。
ぼんやりと車窓に映る夜景を眺めながら、
一昨夜の飲み会のことを思い出す。
NHKのKさんと、刈羽村のSさん。
菓子工房を経営していらっしゃるNさん。
東京青山のコンサルタント会社の社長でいらっしゃるTさん。
そして、私の五人の飲み会だった。
五人の歳は皆同じようなもの。
戦争であったり、貧困であったり、
とその原因は様々であったが、一様に子どもの頃に「飢餓」を経験した者ばかりであった。
「喰う」という本能的な行為に対し、夫々が夫々の意見を持っていた。
確か、「ソイレント・グリーン」という題名だったと思うが、
「チャールトン・へストン」主演の映画が三十五年ほど前に封切られたことがあった。
時代は二十一世紀の中頃、という設定の映画であったと記憶しているが、
人口が爆発的に増加した時代、
一握りの支配者が圧倒的多数の貧民を支配する時代、
肉や野菜といった自然食品は支配者たちしか喰うことができず、
貧民は「ソイレント社」から支給される、
「ソイレント・グリーン」という錠剤(だったかな?)を食べて命をつないでいた。
「ソイレント・グリーン」は
海から採れるプランクトンを加工した「食品」という触れ込みであった。
そこに「ヘストン」扮する刑事が登場するのだが、
安楽死を希望した老人を追跡していくうち、
実は、「ソイレント・グリーン」の原料は「人間」の死体であった、という事実に突き当たる。
人口が爆発的に増加しているのであるから、
「ソイレント・グリーン」の原料の入手には事欠かない、のであった。
また、支配者が住む家には、
若い女が「調度品」として置かれていた、というシーンも忘れられない。
つい最近、「金があれば人間も買える」、とそう豪語した阿呆がいたが、
彼らにとっては、近寄る若い女たちはまさしく調度品であったのだろう。
世界は「ソイレント・グリーン」が描いた時代に近づいている。
「飢餓」はすぐそこにあるように思えてならない。