■ 整理・その3・in and out of the garden

aquio2007-11-11

今から二十五年ほど前、
集英社にお勤めであったHさんが、
「すごい本が出たぞ」、と見せてくださったのが、
この「in and out of the garen」だった。
作者はイギリスの「sara Midda/サラ・ミッダ」。
当時、長野県の白馬村に住んでいた私は、
松本の書店にすぐさまこの本を注文し、
六十キロの道程を、車を走らせて受け取りにいった。
今日、改めて本の奥付を見てみると、
「一九八一年初版発行」となっていた。
ペラペラとページを捲るうち、様々なことを思い出す。
一九八一年といえば、
アーティストに宿舎と創作の場を提供する、
いわゆる「アーティスト・イン・レジデンス」の活動が、
ようやく日本でも根付きだした頃・・・。
私が白馬村に引っ越したのは一九七六年の初夏のことだったが、
その頃、白馬村の隣、美麻村では、
版画家の「吉田遠志」さんが廃校になった校舎を買い取られ、
その活動をすでに開始されていらしゃった。
そのレジデンスの名前は「遊学舎」。
「遊学舎」のキャッチ・フレーズは、「もう一度小学生」だった。
「遊学舎」のポスターは素晴らしい出来映えであったな・・・。
その前年、一九八〇年には「シルク・ロード」の放映が始まる。
音楽を担当したのが、あの「喜太郎」。
当時、「喜太郎」は美麻の隣村に住んでいたように記憶している。
あの頃は、信濃大町に買い物に出かける度、
必ずと言っていいほど、多くのアーティストたちと出会ったものだった。
画家のTさん夫婦と知り合ったのも、この頃のことだった。
「寺山修二」の「書を捨てよ、町に出よう」ではないが、
「都会を捨てよ、田舎に行こう」、というような風潮が、
一部の人々の間に、確かにあった・・・。
しかし、書を捨てた「寺山」が書を捨てられるはずはなく、
町に出た後も書を読み続けたように、
田舎に引っ越した人間にとって、都会は捨てられるはずもなかった。
田舎に住みながらも、その生活の糧は都会に求める、という生活であったように思える。
有り体に言えば、
田舎で制作に励み、その作品なりを都会で売る、ということではなかっただろうか・・・。
「喜太郎」のライフ・スタイルが正しくそうであったように、
都会に住み慣れた人間が田舎で生活するには、
それなりの「力」が求められる、ということであったように思う。
「in and out of the garden」が出版されて一年後のことであったと思うが、
この本の中に描かれたイラストを抜粋した、
ポスト・カードやグリーティング・カードが売りに出されたことがあった。
その一部は自宅の書架に飾ってあるが、
さて、残りはいったいどこに仕舞ってしまったことやら。
家捜しを一度してみなければ・・・。