■ 整理・その16・CRAFT FAIR

aquio2008-01-31

保管用紙缶の中からたくさんのポスターが出てきた。
「これは残しておこう」、とそう決めた時には、
ま、それなりの理由があったのだろうが、
「なぜこんなモノを大事に残していたんだろう・・・?」、
と思われるようなポスターまでが多数混じっていた。
先日から少しずつ整理を始めているのだが、
そのたくさんのポスター類の中から、
「Craft Fair in Hakuba no Mori 1987」
のポスターが出てきた。
今から二十一年前のポスター・・・。
実に懐かしい。
その頃、私は長野県の白馬村で小さな宿を経営していた。
趣味でからくり人形を作っていた頃。
家具作家、人形作家、彫刻家、版画家・・・。
その頃の白馬村には、実に多くのクラフトマンたちが住んでいた。
で、「白馬村のクラフトマンたちの作品を一堂に集めよう」
「他地域のクラフトマンにも参加を呼びかけよう」、ということになり、
仲間たちと協議して開催に漕ぎ着けたのが、
この「Craft Fair in Hakuba no Mori 1987」だった。
クラフト・フェアのキャッチ・フレーズは「この森は、創造しい」。
もうそのお名前は忘れてしまったが、
確か、「LOFT」等の宣伝を手がけていらっしゃった、
高名なコピーライターによるフレーズであったように記憶している。
フレーズの基本的な概念、いわゆるコンセプトは、
「いつもは静けさに包まれている白馬の森だが、
 十月十日と十一日の両日は創造しい森に変貌します」、ということであった。
クラフト・フェアへの参加を募るため、
多くのクラフトマンのアトリエを訪れたものだった。
しかし、このクラフトフェアは大失敗に終わる・・・。
礼を尽くしてクラフトマンの方々に集まってはいただいたのだが、
招聘する側、つまり、我々事務局側の内部に分裂があったのだった。
また、お招きしたクラフトマンの方々にも問題があった。
二百人の人間が集まると、そこには二百の意見がある。
民主主義的施策は社会主義的施策よりも混乱を招くことがある。
このクラフト・フェアの開催にあたり、私はいろいろなコトを学んだ。
クラフトフェアを開催した翌々年、
平成元年の六月一日、私は住み慣れた白馬村を離れることになる。
冬季オリンピックの開催地が長野県に決まり、
白馬村にもその開発の大きな波が押し寄せてきた。
それが、白馬村からの脱出を決断させた大きな原因ではあるが、
このクラフトフェアにおける様々な出来事も、その原因の一つではあったな。
苦々しい思い出のあるポスターだが、
あのクラフトフェアの失敗が、私にいろいろなコトを決断させた。
そういう意味で、このポスターは捨てられずにいた・・・。