■ もやもや
両脚のふくらはぎの外側が痛む。
鉛を抱えているような、鈍い痛み。
ビタミン類の摂取には怠りがないから、
まさか、「脚気」であるとは考え難い。
もやもやと気色が悪いったらありゃしない。
ひょっとしたら、運動不足かもしれないな。
そろそろベッドに入ろうか、と考えている時、
携帯電話の呼び出し音が鳴る。
Sさんからの電話だった。
Sさんがマンションの廊下を歩いていたら、
非常階段の手すりを乗り越えようとしている人影があったらしい。
「自殺・・・!?」と判断したSさんは廊下を走り、
非常階段に近づいたところ、
手すりを乗り越えていたのは、一人の老翁であったらしい。
Sさんはいろいろと説得を試みたらしいが、
老人は、ただ、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべるだけだった、という。
で、Sさんが手すりから手を伸ばし、老人の服を掴もうとしたとたん、
老人は手すりから手を離して、十一階下の地面に向かって落ちていった、という。
その一部始終を、Sさんのお嬢さんも横で見ていた・・・。
「あの老人の死相の浮かんだ顔が眼に焼きついて離れない」
「娘の身体の震えがいつまで経っても収まらない」
「今夜は二人とも眠れそうにない」、と言う。
それは、そうだろう・・・。
Sさんの心が落ち着くまで、いろいろと話し込む。
この事件がSさんのお嬢さんの心にどのような影響を及ぼすのか・・・!?
生涯にわたり、その記憶が薄れる、ということはないだろう。
それを思うと、私もなかなか寝付けなかった。
死神に取り付かれた人間の思考は、
「死ぬこと」、その一点だけに絞られているのだろうが、
人知れずサッサと自殺すればいいものを、
うら若い女性の心を道連れにするとは何事か、と思わずにはいられない。
しかし、事情はどうあれ、
生きていてもそう長くは生きられない老人が、
自殺という道を選ばざるを得なかった、ということも事実として残る・・・。
そのことを思うと、遣る瀬無くなってしまう。
思いを晴らす方法がない。
思わずにいようとしても、思考はついついそこに引き戻されてしまう。
もやもやするのである・・・。