■ 針金で似顔絵

aquio2008-08-13

今朝から岡山の職場に出勤している。
今日は針金を使ったワークショップの開催日。
ワークショップを始める前に、
仕事の合間を縫って針金でサンプルを作ることにした。
ラジオ・ペンチを使って針金を曲げているうち、
なんとなく、その輪郭が死んだ父に似てきた。
「お盆でもあるから仏壇に供えてやるか」、
と父の顔を思い浮かべながら作ってみることにした。
父は兵庫県明石市に生まれた。
死んだ祖母が教えてくれたところによると、
若い頃の父は、
「明石の三羽烏」と異名をとるほどの美男であり、
残りの二羽の烏たちとともに、
相当に浮名を流したワルであったらしい。
時代は世界が戦争に向かおうとしている頃のこと。
父は喧嘩も相当に強かったらしい。
「いつ戦争に狩り出されるか分からない・・・」
殺伐とした空気が日本中を覆っていた頃であるから、
すべての若者がそうであったとは思わないが、
刹那的に生きる若者たちも、また多かったのだろう。
しかし、私の記憶の中に生きている父は常に厳格であり、
頭を拳骨でよく殴られていた、という記憶しか残っていないが、
妙なことに、父には飄々とした雰囲気があった。
父とはよく喧嘩をしたものだった。
「絵描きになりたい」、と私が父に告げた時も、
「いったい何を考えてるんだ!」、と頭に拳骨を喰らったが、
私の決意が固いと知ると、
「何かの足しにしろ」、といくばくかの金を握らせてくれたのも、父だった。
ま、それもこれも今となっては懐かしい思い出でなのだが、
晩年の父は、口をへの字に曲げ、よく遠いところを眺めていた。
きっと、己の来し方を眺めていたのだろう、と思う。
晩年、父は病が元で恍惚状態になっていたが、
遠いところを眺めている時の父の眼は、
恍惚状態にある人の眼つきではなかったように思う・・・。
晩年の父にそっくりな顔が出来上がった。
こちらの用事が済んだら、母にプレゼントしてやろう。
母方の祖母や祖父、妻の祖父や祖母・・・。
鬼籍に入ってしまった血族の関係を偲ぶ。