■ 針金で似顔絵
今朝から岡山の職場に出勤している。
今日は針金を使ったワークショップの開催日。
ワークショップを始める前に、
仕事の合間を縫って針金でサンプルを作ることにした。
ラジオ・ペンチを使って針金を曲げているうち、
なんとなく、その輪郭が死んだ父に似てきた。
「お盆でもあるから仏壇に供えてやるか」、
と父の顔を思い浮かべながら作ってみることにした。
父は兵庫県の明石市に生まれた。
死んだ祖母が教えてくれたところによると、
若い頃の父は、
「明石の三羽烏」と異名をとるほどの美男であり、
残りの二羽の烏たちとともに、
相当に浮名を流したワルであったらしい。
時代は世界が戦争に向かおうとしている頃のこと。
父は喧嘩も相当に強かったらしい。
「いつ戦争に狩り出されるか分からない・・・」
殺伐とした空気が日本中を覆っていた頃であるから、
すべての若者がそうであったとは思わないが、
刹那的に生きる若者たちも、また多かったのだろう。
しかし、私の記憶の中に生きている父は常に厳格であり、
頭を拳骨でよく殴られていた、という記憶しか残っていないが、
妙なことに、父には飄々とした雰囲気があった。
父とはよく喧嘩をしたものだった。
「絵描きになりたい」、と私が父に告げた時も、
「いったい何を考えてるんだ!」、と頭に拳骨を喰らったが、
私の決意が固いと知ると、
「何かの足しにしろ」、といくばくかの金を握らせてくれたのも、父だった。
ま、それもこれも今となっては懐かしい思い出でなのだが、
晩年の父は、口をへの字に曲げ、よく遠いところを眺めていた。
きっと、己の来し方を眺めていたのだろう、と思う。
晩年、父は病が元で恍惚状態になっていたが、
遠いところを眺めている時の父の眼は、
恍惚状態にある人の眼つきではなかったように思う・・・。
晩年の父にそっくりな顔が出来上がった。
こちらの用事が済んだら、母にプレゼントしてやろう。
母方の祖母や祖父、妻の祖父や祖母・・・。
鬼籍に入ってしまった血族の関係を偲ぶ。