■ 休日

aquio2008-09-27

あと二ヶ月ちょっとで六十二歳になる。
思えば、私は十八歳の時から働きづめに働いてきた。
とうとう身体に軋みの音が聞こえるようになってきた。
とは言え、
まだまだ若い者に負けるつもりなど毛頭ないが、
「まだまだ」などという言葉が出れば出るほど
歳をとった証拠であるらしいから、嫌になる。
ここ五年間というもの、
ほとんど休みも取らずに働いてきたが、
まだまだ働き続けるためにも、
少しは身体に休養を与えなければならない。
そんなワケで、今日から少し身体を労ってやることにした。
「今日から月に二日は休みをとる」、と職員たちに宣言すると、
「ぜひ、そうしてください」、などと泣かせるような返事が返ってきた。
今日は午前十時にアパートを出発し、
修理を頼んでいた車を引き取りに出かける。
県道沿いの書店で本をパラパラとめくり、
茶店でコーヒーを飲みながら買ったばかりの本を広げる。
修理工場に着いたのは午後の四時をとっくに過ぎていた。
工場のオヤジと世間話を交わし、
車をノロノロと走らせてアパートに帰る。
近くのマーケットに出かけ、「今夜のおかずは何にするか」、などと思案する。
「生きのいい秋刀魚入荷」と書かれた札があったので、
その「生きのいい秋刀魚」と大根を買って帰る。
「生きのいい」といえば、
「死んだ魚に『生きのいい』という表現はおかしいのではないか」
「死んでいるのであるから、「死にのいい魚」という表現が望ましい」、
などと「中島らも」が何かのエッセーに書いていたことを思い出したりする。
それにしても、何もしないことをする、というのは気持ちのいいものであるな。